第一次大戦中のロシア慰問旅行~首都ペトログラード編

サンクト・ペテルブルグの現在の街並み邦楽コラム

 

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大正時代に決行された初代中尾都山と米川琴翁夫妻のロシア旅行のお話の続きです。
夏に日本を出発し、ウラジオストクからシベリア鉄道で当時のロシアの首都サンクト・ペテルブルグに到着したのは、1915(大正4)年9月7日でした。この連載でお伝えしてきましたように、旅先での予定変更が頻繁に行われましたが、ペトログラードでも当初の滞在予定を延長し、約1か月滞在することになりました。

約3カ月間の旅行中の演奏状況は次のようでした。

1) ロシアの東端ウラジオストク 8月2日~8月15日 演奏会6回
2) 満州の都市ハルピン 8月16日~8月22日 演奏会1回
3) ロシアの首都ペトログラード 9月7日~10月3日 演奏会26回
4) ロシア第2の都市モスクワ 10月4日~10月12日 演奏会12回
5) 朝鮮総督府の置かれた京城 10月25日~10月26日 演奏会1回

上記の5都市以外に船上での演奏なども含めると、演奏回数は48回、曲目は37曲、演奏曲ののべ数は230曲を超えました。

さて、今回は、首都ペトログラードで一行がどのように迎えられ、どのような演奏を行ったのか、まとめてみたいと思います。

ロシアの首都ペトログラード

ペトログラード滞在期間 1915年9月7日~10月3日

福井の敦賀を出発した一行は、ウラジオストクに2週間ほど滞在した後、満州の大都市ハルピンや古都モスクワで演奏し、9月初旬にペトログラードに到着しました。ペトログラードは、18世紀初頭からロシアの首都であり、その名称はサンクト・ペテルブルグ(ドイツ語で聖ペテロの町)でしたが、一行の旅行の前年のロシア革命後にペトログラード(ロシア語でピョートルの町)に名称を改めていました。

一行の演奏内容は?

初代中尾都山が発行していた『都山流楽報』掲載の旅行記(『都山流楽報』74~79号)、及び都山の日記を戦後に息子の中尾治正が掲載した「笹屋集記」(『都山流楽報』471~480号)によると、ペトログラードでの演奏機会は26回確認できます。1か月足らずの間に26回ですから、ほぼ毎日、聴衆の前で演奏していたことになりますね。少々長くなりますが、26回の演奏の様子を見てみましょう。

病院以外での演奏

26回の演奏機会は、病院とそれ以外の場所に分けることができます。まずは、病院以外で行われた11回の演奏についてご紹介しましょう。

(1) 9月8日 試演会 於:日本大使館(駐露大使の招待)

1.《八段の調》箏三弦 2.《千鳥の曲》箏尺八 3.《小督の曲》箏独奏 4.《岩清水》尺八 5.《御山獅子》三曲

(2) 9月13日 於:小田切大佐宅(大使館付武官小田切大佐の招待)

1.《明治松竹梅》箏尺八 2.《七小町》箏三弦 3.《青海波》尺八 4.《越後獅子》三曲

(3) 9月14日 於:大使館ダンス広間

1.《春の曲》箏尺八 2.《熊野》箏 3.《岩清水》尺八 4.《さむしろ》箏三弦 5.《青海波》尺八 6.《あれ鼠》三弦 7.《残月》三曲 番外《君が代》尺八

(4) 9月17日 於:日本大使館(大使及び島定治郎氏一行)

1.《寒月》尺八

(5) 9月19日 於:小田切大佐宅(ペトログラード市邦人実業家連の招待)

5曲(曲名不明)

(6) 9月24日 歓迎会 於:日本大使館(芸術家団体の招待、終了後にピアノ・チェロの演奏あり)

1.《六段の調》三曲 2.《砧》三弦独奏 3.《岩清水》尺八 4.《千鳥の曲》箏尺八 5.《御山獅子》三曲 6.《春の光》尺八

(7) 9月26日 於:彫刻家チエレミシノヴ女史宅(初代中尾都山の彫像制作の御礼)

1.《朝霧》尺八 2.《若葉》尺八 3.《今小町》尺八

(8) 9月28日 於:日本病院篤志看護婦カス子宅(ピアノ演奏もあり)

3曲(曲名不明)

(9) 9月30日 於:日本大使館(来客のため)

4曲(曲名不明)

(10) 10月1日 日本音楽会(公開演奏会) 於:露国帝室音楽学校内演奏場(芸術家数十名の発起)

1.《七小町》箏三弦 2.《磯馴松》尺八 3.《楓の花》箏独奏 番外《残月》三曲 4.《富士太鼓》三弦連奏 5.《霜夜》尺八 アンコール1.《君が代》尺八 2.《夜々の星》三曲

(11) 10月3日 送別会 於:日本大使館

1.《越後獅子》三曲

日本大使館とその関係者の自宅で行われた会が見られますが、その場合は、主に日本人に向けて演奏されたと思われます。

しかし、終盤に近づくと、ロシア人彫刻家へのお礼のための演奏(7)があり、ロシア人との交流が伺えます。演奏は尺八だけですので、中尾都山のみがお礼に行ったようですね。彫像はどのようなものだったのでしょうか。

また、10月1日の公開演奏会(10)は、座席券は完売し、臨時券を発行し、当日は立ち見も出たそうです。音楽ホールが満席ということですから、約1か月の活動を通じて市民にも知名度が上がっていたのでしょう。当時の新聞記事などが読めれば、その辺りの評判も分かるかもしれませんね。

病院での慰問演奏

ペトログラードでの演奏は、大半が病院で行われました。
一行の目的は、第一次世界大戦で傷ついた人々を慰問することでした。出発当初は義援金募集が目的でしたが、目的地をペトログラードにしたことで、実際に兵士を慰問することが可能になったわけですね。(詳しくは第1回の記事をご覧ください。)

ペトログラードの病院には傷病兵士が入院していましたので、一行は病院を巡って慰問演奏を行いました。
では、一行は、病院でどのような演奏をしたのでしょうか。

(12) 9月12日 於:日本赤十字救護班病院(患者約100名)

1.《夜々の星》三曲 2.《八段の調》箏三弦 3.《春の光》尺八 4.《御山獅子》三曲 アンコール1.《六段の調》三曲 2.《千鳥の曲》箏尺八

(13) 9月16日 サルスコエセロ宮殿内の露国皇后陛下御親裁の病院(患者40名)

1.《八段の調》三曲 2.《春の朝》箏三弦 3.《春の光》尺八 4.《残月》三曲

(14) 9月17日 ノーウォエ・ウレーミヤ新聞社病院

1.《御山獅子》三曲 2.《七小町》箏三弦 3.《春の光》尺八 4.《残月》三曲 5.《楓の花》箏 アンコール《夜々の星》三曲

(15) 9月19日 芸術家病院(患者700名)

1.《御山獅子》三曲 2.《軍人の曲》箏 3.《春の光》尺八 4.《残月》三曲 アンコール《君が代》尺八

(16) 9月19日 貴族会館(患者400名)

曲は(4)と同じ

(17) 9月20日 貴族病院

4曲(曲名不明)

(18) 9月20日 参謀本部病院

4曲(曲名不明)

(19) 9月21日 工芸大学内の病院(患者約900名)

5曲(曲名不明)

(20) 9月21日 交通省病院(兵士によるバラライカ演奏あり)

4曲(曲名不明)

(21) 9月22日 日本赤十字救護班病院

5曲(曲名不明)

(22) 9月23日 市立病院

5曲(曲名不明) アンコール《君が代》尺八

(23) 9月25日 鉄道官病院(兵士の歌唱あり)

3曲(曲名不明)

(24) 9月27日 聖十字架病院

4曲(曲名不明)

(25) 9月29日 ノーウォエ・ウレーミヤ病院

5曲(曲名不明)

(26) 9月30日 外務省立病院(ロシア外務大臣夫妻、日本大使夫妻が来場)

7曲(曲名不明)

以上のように、病院での慰問は15回行われました。同じ病院に2度訪問している場合もありますね。日本赤十字病院は日本関係の病院ですが、その他は、ロシアの帝室や政府関係の病院、新聞社の病院など公立や私立の病院を精力的に巡っています。

一行は到着直後に日本大使館で演奏しましたので、その関係の病院から始め、演奏の傍ら交渉を進め、演奏機会を増やしていったのでしょう。日本大使だけでなく同行した実業家島氏の助力もあったことが想像されます。

演奏を聴いた患者の数も少し明らかになっていますが、毎回、数十名から数百名のロシア兵士が聞いたとすると、数千名の人々が日本の伝統音楽を鑑賞したことになりますね。

ペトログラードでの演奏曲目

最後に、ペトログラードでの曲目を振り返ってみましょう。省略されていて分からない会が多いのが残念ですが、似たようなプログラムだったので省略したということかと思われます。

さて、分かるところを見てみると、まず、病院では、
1.三曲 2.箏三弦(米川夫妻) 3.尺八独奏(中尾都山) 4.三曲
というセットが定番になっており、曲目もある程度固定されていた様子がうかがえます。
この場合、三弦と箏を弾く米川夫妻、尺八の中尾都山の3名は3回ずつ演奏することになりますので、効率よく病院を巡るには良いプログラムだったのかもしれません。

それに対して、大使館など病院以外の場所での曲目を見ると、特に(3)(6)(10)の会では、箏三弦、尺八の曲、あるいは箏と尺八の曲など、三曲合奏以外の曲目にバラエティがあり、曲数も増えています。病院の慰問よりも自由に編成を組み、多彩な曲を聴かせたとも言えるでしょう。

また、アンコールや、ロシアの聴衆による演奏が見られますから、ロシア人との音楽の交流があったのですね。病院慰問、ロシア人との音楽交流、音楽ホールでの演奏など、これは、ロシアの大都市で大成功を収めたと言えるのではないでしょうか。

まとめ

今回は、一行が一番長く滞在し、旅行の目的である病院慰問を行ったペトログラードでの様子を振り返りました。ペトログラードは、ロシアで一番ヨーロッパに近い都市だそうですので、傷病兵士も多かったのでしょう。

演奏回数がとても多いですが、これは、ウラジオストク同様、到着してから伝手を頼りに演奏会を催し、その評判や人脈から次々に会をセッティングしていった様子が想像できます。そして、大勢の人々に箏三弦、尺八の音色を届けたことは、偉業としか言いようがありません。

さて、ここで旅は折り返し、次はモスクワへ移動します。次の記事もどうぞお楽しみに。


この記事は、下記の論文をもとに構成しました。

福田千絵 2008年「海外三曲公演の先駆け―初代中尾都山と米川琴翁夫妻のロシア旅行」『お茶の水音楽論集 徳丸吉彦先生古稀記念論文集』215-226pp.

なお、こちらの著作には、ロシア旅行の費用のことや当地での一行の様子が生き生きと描かれています。

森田柊山 2021年『中尾都山伝 知られざる流祖の魅力』公益財団法人 都山流尺八学会.

この記事を書いた人
福まる

大学で日本音楽史と民族音楽学の非常勤講師をしています。最近、地元の資料館で古文書整理員を始めました。お箏と地歌三味線を少し弾きます。記事を書いて、邦楽の世界をもっとオープンにするお手伝いをしたいと思っています。

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