歌舞伎の音楽あれこれ

歌舞伎座邦楽コラム
歌舞伎座

歌舞伎は、華やかな音楽とともにストーリーが展開する舞踊劇です。日本のオペラやミュージカルと言われることもありますね。
歌舞伎の音楽は三味線音楽が中心ですが、詳しく見ると、長唄や義太夫節などのいろいろな三味線音楽が適材適所で用いられています。そのため、歌舞伎の音楽は少々複雑です。
音楽が分かれば歌舞伎はもっと楽しめるはず。ということで、今回は、歌舞伎で使われる音楽種目について解説します。

歌舞伎で使われる音楽

歌舞伎の音楽は、歴史的には能楽の楽器である笛、小鼓、大鼓、太鼓が最初の伴奏音楽でした。これは京都の四条河原で出雲の阿国(歌舞伎を始めた女性)が踊っていた時(1603年頃)の音楽です。この4種の楽器は、現在まで歌舞伎囃子の楽器として使われています。

ただし、この時はまだ三味線は使われていませんでした。三味線は16世紀後半に大阪で使われ始めた新しい楽器だったので、この時はまだ、歌舞伎踊りでは使われていなかったのです。

その後しばらくして、歌舞伎囃子に加え、三味線を伴奏とした芝居唄が歌われるようになります。
このように、能の楽器に三味線と唄を加えた伴奏音楽は、元禄時代(1688-1704)には「長唄」と呼ばれ、歌舞伎の演劇と舞踊に欠かせないものになりました。また、その時代に盛んであった義太夫節を始めとする浄瑠璃も歌舞伎の上演を支える音楽となりました。

では、歌舞伎囃子、長唄、義太夫節、その他の浄瑠璃の順に歌舞伎の音楽を紹介していきましょう。

歌舞伎囃子

歌舞伎囃子は、鳴物(なりもの)とも呼ばれます。舞台での演奏場所によって、出囃子と陰囃子の2種類に分けられます。

出囃子

出囃子は、三味線と唄から成る長唄と共に舞台上で演奏され、笛(能管あるいは篠笛)、小鼓、大鼓、太鼓が使われます。
出囃子については後の長唄の部分でもう一度取り上げます。

陰囃子

陰囃子は、黒御簾、下座とも呼ばれます。舞台下手に設けられた黒御簾(下座)の中で演奏される、BGMや効果音を担当する部門です。
楽器は、出囃子の楽器の他、多種多様な楽器が扱われます。三味線、大太鼓、チャルメラなどの楽器もありますが、それだけでなく、舞台の進行を助ける柝(拍子木)、木魚などの生活の音を表現するための楽器(道具)、雨の音を演出する小豆を使った特殊なうちわなども含まれています。さらに、開演前の合図となる音楽や終演を告げる音楽なども担当しています。
陰囃子は、数多くの楽器や道具を操り、歌舞伎の舞台をあらゆる角度から支える音楽ともいえます。

長唄

長唄は、唄と三味線に鳴物が加わった形式で演奏され、歌舞伎の主たる伴奏音楽です。

歌舞伎の舞台で長唄が演奏される際は、三味線と歌が山台(雛壇)の上に並び、大鼓・小鼓・笛は鳴物として山台の下段に並びます。太鼓が加わることもありますし、笛は、能管と篠笛が曲目によって使い分けられます。
歌舞伎の舞台では、三味線と唄が数名(4~8)ずつ(三味線と唄はいつも同数)、大鼓1名、小鼓数名、笛1名が標準的で、かなりの大所帯になります。長唄連中が舞台正面奥の山台にずらりと並ぶ様子は歌舞伎ならではの圧巻の光景ですね。

長唄は、浄瑠璃系の音楽(歌舞伎浄瑠璃)と違って「歌」なので、旋律を引き延ばし、美声を聞かせます。日本の伝統的な声の芸術は語り風のものが多い中、長唄の歌い手(唄方)はプロフェッショナルな歌手ということになるでしょう。
三味線は比較的軽量な細棹という種類で、撥も軽く小ぶりで小回りが利きます。歌舞伎の舞台では三味線が真横に整然と並びますが、アイコンタクトさえできない状態で、速いパッセージを一糸乱れぬ撥さばきで合奏する職人技で舞台を盛り上げます。

《京鹿子娘道成寺》《藤娘》などの舞踊の伴奏、《勧進帳》《連獅子》などの劇を通した伴奏など、長唄は数多くの劇と舞踊に使われています。

竹本(義太夫節)

「竹本」は、義太夫節を歌舞伎で演奏する際の呼び名です。義太夫節はもともと人形浄瑠璃の伴奏音楽ですが、歌舞伎で用いられる場合は「竹本」と呼ばれます。これは、義太夫節を創始した竹本義太夫にちなみ、竹本姓を名乗る演奏者が多かったからと言われています。

長唄が「歌」であるのに対し、義太夫節は「語り」です。語りの音楽は、時にさくさくと、時に情感たっぷりに表現し、物語を生き生きと伝えます。
このような語り系の種目は「浄瑠璃」と呼ばれており、語りを担当する大夫と三味線の組み合わせで演奏されます。種目としては常磐津節や清元節などがありますが、義太夫節の写実性と迫力は比類をみません。

義太夫節は、浄瑠璃の中でも三味線に太棹が使われ、低音の響きが特徴的です。また、太夫は本来、たった一人で情景描写から役者のセリフまでを臨場感あふれる技術で表現します。
歌舞伎では、セリフは太夫ではなく役者が発声しますが、それ以外は本来の義太夫節と同様、太夫と太棹三味線のダイナミックな表現が醍醐味となっています。

なお、竹本が用いられる歌舞伎の演目は、義太夫狂言と呼ばれ、人気の演目がそろっています。義太夫狂言の例としては、《義経千本桜》《仮名手本忠臣蔵》《菅原伝授手習鑑》《曽根崎心中》など、人気を博した人形浄瑠璃の演目を歌舞伎に移したものが多くあります。舞台上では、上手の舞台際で演奏されます。

常磐津節

常磐津節は、義太夫節と同様に浄瑠璃の一種目です。常磐津節は、元禄以後に流行した豊後節の系統で、豊後節浄瑠璃の一つでもあります。成立は延享4年(1747年)。

元となった豊後節は情感を込めて男女の無理心中のつらい心情を語るものでしたが、豊後節の影響で心中する若者が増えたため、江戸幕府から禁止されたという浄瑠璃です。

常磐津節は、大阪の若者の心を捉えた豊後節の流れを汲み、義太夫節のような重厚さの面影を残しつつ、より歌謡的で柔らかく情景や人物描写をします。他の浄瑠璃に比べるときっちりとした印象も受ける浄瑠璃です。

《積恋雪関扉》《忍夜恋曲者》などの演目で演奏されます(曲はそれぞれ《関の扉》《将門》)。長唄のような正面の山台ではなく、少し左右に寄せた場所に設置した山台で演奏されます。柿色の衣装を身に付けています。

清元節

常磐津節から富本節が派生し、富本節から清元節が生まれました。これは文化14年(1817年)の出来事ですから、浄瑠璃の中では比較的新しい種類になります。当時、流行していた変化舞踊に対応できる舞踊音楽として、清元節は新しい作品を生み出しました。清元節は、長く大きなユリを特徴とし、洒脱な表現で語ります。

《三社祭》《保名》など舞踊劇の伴奏として演奏します。常磐津節と同様に脇に寄った山台で演奏されますが、清元節は緑色の衣装を身に付けています。

河東節

浄瑠璃は、義太夫節、常磐津節、清元節のほかにも、一中節、河東節、新内節など、さまざまな種目が現在まで続いていますが、多くは舞台を離れてお座敷で演奏する作品が主体となっています。河東節のその一つで、特定の演目に限って歌舞伎の舞台で演奏されています。

河東節は、享保2年(1717年)に生まれた浄瑠璃で、現在の歌舞伎では《助六由縁江戸桜》の主人公、助六の登場シーンで演奏されます。

新内節

新内節は、連れ立って三味線を肩に掛け、新内流しとして演奏する形式が定番です。安永(1772-1781)末頃に生まれ、《蘭蝶》《明烏夢泡雪》などの演目で演奏されましたが、現在の歌舞伎では、劇中で新内流しを聞かせる際に使われます。

まとめ

以上のように、歌舞伎では、歌舞伎囃子と長唄を中心としながら、義太夫節、常磐津節、清元節などの浄瑠璃が、演目に応じて使い分けられています。

音楽的な内容もそれぞれ違うのですが、音だけで違いを判断するのは難しいかもしれません。見た目で区別するならば、正面の山台に大勢が整列しているのは長唄の出囃子、舞台上手(向かって右手)に三味線と太夫がいる場合は竹本、三味線と太夫が舞台上(多くは右寄り)に並んでいる場合はその他の浄瑠璃、効果音は舞台下手(向かって左手)の陰囃子、というところでしょうか。

陰囃子が使われない演目はまずありませんが、その他は演目によって使い分けられています。そして、今回、取り上げなかった箏や胡弓なども場面に応じて登場することがあります。
さまざまな伝統音楽が駆使される舞台は、効果的なものをどん欲に取り入れる歌舞伎の性格を表しているともいえます。この場面にこの音楽を使うのかと分かってくると、歌舞伎はもっと面白くなると思いますよ。

この記事を書いた人
福まる

大学で日本音楽史と民族音楽学の非常勤講師をしています。最近、地元の資料館で古文書整理員を始めました。お箏と地歌三味線を少し弾きます。記事を書いて、邦楽の世界をもっとオープンにするお手伝いをしたいと思っています。

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