文化についてもう少し掘り下げてみる

箏を弾く写真じーものヒトリごと

どうも。最近はヒトリごとの更新頻度が落ちていまして…このままだと、ただのぼそぼそ声になっちゃうなぁ、と心配しているじーもです。(まぁそれもこれもすべて自分の責任ではあるんですが。笑)

以前に、こんな記事を出しました。(「邦楽は文化?芸術?それとも娯楽?~その1~」「邦楽は文化?芸術?それとも娯楽?~その2~」)今日は、もう少し踏み込んで時間軸をもとに考えてみようと思います。

個人の一生のうちに完結する「芸術」や「娯楽」

まずは、芸術に関してです。ここでは、「表現」がキーワードである、と仮定してみます。

そう考えると、表現(芸術)というのは、あくまでも個人が主体となることが多いと推測できます。時間軸で考えると、どれほど長くとも個人の一生が限度となると思うのです。もちろん熱量や、規模など。他の要素が様々であったとしても、です。

次に娯楽を考えます。娯楽の場合は、表現(芸術)と同様に個人が主体となることが予想されます。時間軸で考えると、より瞬間的なものではないでしょうか。もちろん、生きがいとして捉えている方からすると、一種の表現活動となり、ある意味で芸術とは切り離すことが難しくなりますが。今回はさておき。

世代を超えて受け継がれる「文化」

そして、文化です。前者とは大きく異なる点が、ある個人を主体とするものではない、という点です。つまり文化は、個人の一生には収まりきらず、世代を超えて受け継がれていきます。

時間軸で考えると、その地域で始まった時から現在までという途方もない時間になります。もちろん、当時から変化したこともあるでしょうが、基本的には積み重ねてきた時間が表現(芸術)や娯楽とは異なることが考えられます。

と。個人的な意見を書いたところで、よければみなさんもたまに文化について思いをはせてみてはいかがでしょうか。では、本日もこの辺で。みなさん、よい一日を。

この記事を書いた人
じーも

母が箏を教えていることもあり、小さな頃から箏の音色を聞きながら育つ。
まんまと母の策略にはまり、小学校高学年から尺八を始めることに。初めは全く鳴らずに苦しんだが、少しずつ魅力を感じ始める。(続きはメンバーページをご覧ください)

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