楽譜から文化を考える

尺八を吹いている写真じーものヒトリごと

どうも、じーもです。頭ではわかっていても実際に行動できないことってありますよね。私の場合、その一つが運動なんですが。(笑)
それはさておき。本日は、少しまじめな考察をしてみたいと思います。

曲を表す・現れる

みなさん初めて曲を演奏するとき、何を見ますか?そう、楽譜ですよね。では、楽譜には何が書かれていますか?西洋ならおたまじゃくしが…いえ、音符が並びますよね。尺八の場合は、流派によるかもしれませんが。主にカタカナが並びます。

つまり、音の並びを表しています。加えて、音の長さやタイミング、演奏技法などが書かれています。そう、これは作曲家が自分の曲を「表して」いるのだと思います。たいていの場合、この楽譜をなぞることで曲が「現れて」くると思います。もう少し踏み込んで考えてみます。

曲を倣う・表す

尺八の場合、家元が作曲した、本曲というジャンルがあります。もちろん楽譜はあるのですが、中にはいわゆる小節線という区切りがないものがあります。

そういった曲を演奏する場合は、「倣う(ならう)」ことが必要となるのです。区切りがないからと言って、自由に吹いていいわけではなく、型があるのです。その型を楽譜以外の情報によって伝えていきます(口伝)。

そうやって繰り返しその曲を深めることで、いつのまにかその曲を奏者が「表して」いくのです。

頭で理解することが先(楽譜から曲をなぞる)なのか身体的に理解することが先(誰かに倣う)なのか、微妙に違うような気がするんです。

そこには流派の戦略もあったかもしれませんし、西洋に関して私が知らないだけなのかもしれません。でも、そこに文化の違いがあるようにも感じます。音楽というジャンルは全世界で共通ですが、その分、音楽を担ってきた人たちの考えや感じ方が現れているような気がします。

ちなみにすべて私の個人的意見なので。他の解釈がある方も、機会があればぜひお話ししましょう。(^^)

では、本日はここまで。みなさん、今日もよい一日を。

この記事を書いた人
じーも

母が箏を教えていることもあり、小さな頃から箏の音色を聞きながら育つ。
まんまと母の策略にはまり、小学校高学年から尺八を始めることに。初めは全く鳴らずに苦しんだが、少しずつ魅力を感じ始める。(続きはメンバーページをご覧ください)

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