宿屋の主人、吟遊詩人になる

宿屋の主人、吟遊詩人になるじーものヒトリごと

どうも、じーもです。
早速ですが、意味の分からないタイトルですみません。。きちんと今から説明しますので。少しだけお時間を。

伝統文化とは宿屋の主人だった?!

邦楽は伝統文化である、といってもそこまで違和感はないかと思います。
では、伝統文化は宿屋の主人である、というとどうでしょう?

これはわたしが(毎度ながら)勝手に思っていることですが、伝統文化とは伝承が重んじられた事実があり、いわゆる「習いに行く」ものだと思うんです。極端にいうと、来てもらって需要を満たす、ということです。これは、ある意味で宿屋と同じ仕組みです。

宿屋も宿という場所があり、泊まりに来ることで金銭を交換しニーズを満たすわけです。ということは、言い換えれば伝統文化というのは、宿屋の主人としてふるまっていたといっても過言ではありません。(いえ、過言でございます)

これからは吟遊詩人として生きる?!

では百歩譲って伝統文化は宿屋の主人だったとして。
それがどうしたというのでしょうか?

それは、心構えと考え方の問題です。

宿屋の主人として重要なのは、その場所を守ること。要するに、宿としての場所自体に意味があるので、そこが無くならないように工夫しなければいけません。といってもその場所を動くことはできないので、基本的には待ちの姿勢になるわけです。

ではここで。吟遊詩人を考えてみます。吟遊詩人とは各地を旅して歌や朗読をしてきた人たちです。つまり、一つ所にとどまるのではなく、自らが動いて各地に寄り添いながら歌を披露する。積極的にアプローチする気持ちが重要になってきます。

何がいいたいかというと、現代では、伝統文化も場所を守るだけでなく、吟遊詩人的な振る舞いや心持ちが重要になってきたのではないか?というお話でした。

意外とすっきりとまとまった?気がしています。(笑)
では。本日はここまで。みなさんにとって、よい一日になりますように。

この記事を書いた人
じーも

母が箏を教えていることもあり、小さな頃から箏の音色を聞きながら育つ。
まんまと母の策略にはまり、小学校高学年から尺八を始めることに。初めは全く鳴らずに苦しんだが、少しずつ魅力を感じ始める。(続きはメンバーページをご覧ください)

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