もちろんテニスのグランドスラムではない。
令和2年度の文化庁芸術祭音楽部門大賞、同レコード部門大賞、松尾芸能賞優秀賞、芸術選奨文部科学大臣賞を、地歌演奏家の藤本昭子氏が連続受賞されたのである。
COVID-19のために文化芸術関係も沈滞していたこの年に、邦楽界としてたいへんに嬉しいニュースに接し、早速お願いした単独インタビューに快く応じて頂いた。
――まずはたいへんな賞を今年4つも受賞され、おめでとうございます。率直な今のお気もちを聞かせてください。
ありがとうございます。
昨年12月中旬に芸術祭音楽部門大賞受賞のお報せを頂いた折に、「実はレコード部門でも大賞を受賞されています。前例のないダブル受賞に私たちも興奮しています・・」と文化庁の方が電話口でおっしゃられたものですから、「うそでしょ」と本当にびっくりしました。
ところがそれに止まらず松尾芸能賞受賞と芸術選奨受賞のお報せが続き、一生分のごほうびをまとめて頂いたような気持ちで、夢か現かという日々を過ごしていました。芸術祭贈呈式は残念ながらコロナ禍で中止になりましたが、先日執り行われた芸術選奨贈呈式に出席させて頂いて、ようやく地に足が着いたという感じです。
本当に私には身に余る賞ばかりで、そのひとつだけでも大きな目標になりますが、それぞれの贈賞理由がまたとても嬉しいものでした。
芸術祭音楽部門の贈賞理由は「リサイタルの成果」でしたが、その文中に「歴史的名演」と記されていました。これは言うまでもなく(米川)文子先生のおかげです。先生のゆるぎない芸には、お隣で演奏させて頂いた者しか感じられない底知れない凄さがあります。先生には、これまで勉強してきた力量以上のものを引き出して頂きました。
レコード部門に関しても、世界的ピアニストの佐藤(充彦)さんが地歌の世界をほんとうに理解して下さったおかげです。ニュアンスや味わい、歌唱法など古典の奏法や唱法は一切変えずにピアノパートを作曲して下さって、「足し算と引き算のゆるぎない妙味によって魅力を引き出した」と評価して頂けました。
また、松尾芸能賞は20年間にわたり年5回開催を休まず続けてきた地歌ライブをご評価下さり、芸術選奨はリサイタルや地歌ライブなどの主催公演の成果に加え、助演させて頂いた折の演奏もお取り上げ下さいましたこと。そして熊本の長谷検校遺愛の三弦を修理復刻して演奏したこともご評価下さいました。これは九州系地歌の演奏家としてこの上ない喜びでした。
――お祖母様、お母様からの芸をひと撥ずつ修業されてきたご苦労が報われたのでは?
絶対的な師匠だった母を亡くしてから、本当にこれで良いのかと自問自答しながら15年間稽古を続けて参りましたが、歩んで来たその道のりが間違っていなかったことを改めて教えて頂いたような思いです。今後の道筋にも自信が持てました。
――邦楽月刊誌の『邦楽ジャーナル』に「地歌のいろは」と題して1年間執筆されましたね。
これは願ってもないチャンスを頂きました。
とはいえ、そもそも歌い方や弾き方を文章で伝える困難さを毎回感じておりましたが、書くことによって自分の頭の中も整理できたように思います。また、今後進むべき方向への新たなヒントを頂けたようにも思います。
――その最終回で発表された、会派を退会されるという大きなご決断におどろきました。
残念ながら伝統芸能にはまだまだ高い壁があるように思います。
芸の継承に欠かせない流派、家元制度ですが、その中では思うように伝えられないもどかしさも感じていました。会派に属すれば大きな恩恵もありますが、同時に枠もついてきます。祖母と母が大切に育ててきた「銀明会」ですが、どこにも属さず一人の演奏家として活動することが、私が信じる道につながると決心しました。
もちろん苦渋の決断でしたし風当たりもありますが、未来が少し開けたとも思っています。母が残したたいへん重い言葉ですが、「地歌をこの世からなくしちゃいけない」んです。
――YouTube配信もされていますが、そのきっかけは?
コロナ禍のせいで演奏会もお稽古も何もかもなくなってしまいました。でも演奏家として、今だからこそ何かしなければならないとも思いました。
そこで、本来なら地歌ライブ第100回を終えたら始めようと計画していたYouTube配信の開始を前倒しにして始めたんです。
おかげさまでチャンネル登録して下さった方が千人をこえ、視聴回数は現在まで15万7千回になりました。
世界中のたくさんの方が聴いて下さってるんですよ。先日はYouTubeをご覧になったトルコの方からインタビュー依頼を頂きました。また、教材に使ってくれている方々もおられるようです。
――それはすばらしい!皆さん、聴きたい、見たいと飢えている人が多いのですね。
今後のご予定は?
YouTube配信はこれからも再開して続ける予定です。
またCDも3月24日に2枚、5月26日にもう1枚発売予定です。
1枚目は「地歌のいろは」と題した九州系と本家・上方系の聴き比べCDアルバムです。同じ題名で昨年12月に開催したコンサートが好評だったので、そのライブ録音盤を発売予定だったのですが、さらに良い録音でお聴かせしたいと欲が出て、改めて全曲をスタジオ録音しました。
もう1枚は、熊本で開催された長谷検校三弦復刻演奏会のライブ録音盤です。
5月には芸術祭大賞を頂いたリサイタルのライブ録音CDを発売予定です。また、残すところ全4回となったまま延期を重ねております地歌ライブも、今年こそは最終回の第100回まで開催できることを祈っています。
――海外もよく行かれていましたが、今は無理ですね。
海外演奏というのは多くの学びを頂ける機会ですね。
言葉や文化の異なる国でも、本当に良いものをお届けしたいと準備を重ねて臨んだ演奏は、必ず相手の心に届きます。
――ふだん、芸以外の楽しみはなんでしょうか?
唯一の趣味は旅行です。
草さん(夫)も私も旅行が大好きなんです。海外にもよく参りました。
――今までで一番印象に残っている良かった所はどこですか?
イギリスの湖水地方にはこれまで3回行きました。
ピーターラビット発祥の地で、実際にたくさんのウサギたちとホテルの庭で会いましたよ。食事もおいしいし、街並みにも歴史があるんです。
あ、イタリアも好きです。
タクシーに乗って、すごく細い道を100キロで走られた時は怖かった。よせばいいのですが草さん運転のレンタカーが慣れない右側通行でトラックにすごく煽られちゃったり…。そんな珍道中ばかりですけど(笑)。
――最後にひとことお願いします。
地歌箏曲はひとりでできる音楽ではありません。だから演奏仲間が必要です。これからも若い人に声をかけ、ひとりでも多く古典を弾いてくれる仲間を増やしていきたいです。
くり返しになりますが「地歌をこの世からなくしちゃいけない!」そのためにこれまで以上に精一杯がんばっていきたいと思います。
――ありがとうございました。
<聞き手:藤本玲>