サーフィンと音楽

サーフィンと音楽じーものヒトリごと

※これは2023年9月17日にかいた記事です。

どうも、みなさん。じーもです。

もうすっかり秋になり、日中も過ごしやすく…と思い外へ子どもたちと出かけたら、とても暑くてびっくりしました。(笑)そんなこんなで少し時期外れ(?)の話題を少し。

波を読み、波に乗る

改めまして、サーフィンのサの字も知らないような、じーもでございます。
早速ですがみなさん。サーフィンについてどれほど知っていますか?
(和楽器を扱うサイトの中では、きっと前代未聞の質問です。。)

私も冒頭でお話ししたようにイメージでしか知らないのですが。
とにかくイメージにあることは、「波に乗る」こと。それは決して簡単なことではなく、維持することも難しい。
さらに「波を読む」ことが求められる。でも、だからこそ、波に乗る姿はカッコよく、惹かれる。とても魅力的な姿が、そこに存在しているということ。

一体全体、なぜ邦楽の普及を目指すサイトでこんなことを書いているのか。
いえ、ちゃんと理由があるんです。ですから諦めずにもう少しお付き合いください。。

音楽との共通点

一度始まると、もう止まることはない。
相手(波)を読み、相手(波)とともに創り出し、プレーヤーのみならずそれを見守る人たちも相手(波)との姿に身を委ねていく。そこに感動が生まれる。

これって、音楽にも当てはまるんじゃないか、と思ったんです。
とくに邦楽の合奏など、他者と作り上げていく音楽では、流れを「読む(感じる)」ことや、ともに創り出す相手に委ねる(信じる)ことは大切なことだと思うんです。
そして、その共創(協奏)がその場にいるすべての人たちへの感動を生む。

でもね。決定的な違いもあるんです。

サーフィンの難しさの一つとして、そもそもの練習に対する難易度があるそうです。(ネットで調べました。)要するに、いつもいい波が来るとは限らない。練習に適した波があるわけではない、ということみたいです。

うん、音楽に置き換えて、もし練習することが難しくなかなか練習できないとすれば、それはもう。。。地獄のような絵が浮かびます。(笑)

さて、今回はその瞬間に対する感動は共通するものもある、と感じたお話でした。
では本日もここまで。みなさんにとって、よい一日になりますように。

この記事を書いた人
じーも

母が箏を教えていることもあり、小さな頃から箏の音色を聞きながら育つ。
まんまと母の策略にはまり、小学校高学年から尺八を始めることに。初めは全く鳴らずに苦しんだが、少しずつ魅力を感じ始める。(続きはメンバーページをご覧ください)

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